香撰堂本舗 / ワンランク上の味わいを食卓に、静岡産100%深蒸茶匠、特許取得の備長炭入り炭火焙煎茶

温故知新伊藤博文

伊藤博文
概説
初代内閣総理大臣として知られ、4度総理
大臣を経験した。生まれは周防国(現在の
山口県)の百姓として生まれ、父が長州藩
の足軽伊藤家に入ったため、父とともに下
級武士の身分を得る。吉田松陰の私塾であ
る松下村塾に学んだ。尊王攘夷運動に傾倒
し、英国大使館焼き討ちにも参加したが、
1863年に藩命により井上馨らとともに
イギリスに留学し、開国論者となる。
1889年に黒田内閣の下で大日本帝国憲法
が発布される。大日本帝国憲法はドイツの
憲法を元に作成され、伊藤は実際にドイツ
へ留学し、大日本帝国憲法の作成に寄与し
た。
伊藤は韓国併合には反対の立場だったが、
1909年、韓国で民族運動家・安重根によ
って射殺。伊藤死後の1910年、韓国は併
合された。
ーお茶好きとお茶子ー
伊藤博文の妻は木田梅子という女性です。
彼女が亀山八幡宮境内のお亀茶屋にて、
お茶子をしていた際に、好物のお茶を飲み
に来た伊藤博文と出会ったと言われていま
す。当時の伊藤博文は藩内の派閥争いに身
を投じており、藩の主流派に命を狙われて
いた。そのようなおり、攘夷派の襲撃を受
け、亀山八幡宮の境内に逃げむと、梅子が
匿ってくれたと言う。
その時世話になり、梅子の美貌に惚れたと
言われている。しかし、別の女性と結婚し
ていました。
桂小五郎と西郷隆盛・大久保利通らにより
「薩長同盟」が結ばれる時節柄、伊藤博文は
井上馨と共に最新兵器を購入する為、長崎
に出向いた。その間に梅子の父は、借金の
かたに下関稲荷町の置屋に、梅子を身売り
させてしまい、芸者見習となっていさした。
しかしこの時既に伊藤博文の子を身ごもっ
ていた為、それらの事を知った伊藤は身請
け申し出たが、置屋の主人から、本妻と離
婚するならと条件を突き付けられた。
元々、本妻とは、そりが合わなかったこと
もあり、再婚し梅子は継妻として結婚し二
男二女を設けました。
その後、明治政府の元勲婦人としての教養
を身につけ、鹿鳴館での社交もそつなくこ
なし、良妻として伊藤を支えた。梅子は伊
藤博文の死後、1924年に亡くなります。
まさにお茶が紡いだ縁というわけです。
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