香撰堂本舗 / ワンランク上の味わいを食卓に、静岡産100%深蒸茶匠、特許取得の備長炭入り炭火焙煎茶

温故知新坂本龍馬

坂本竜馬
概説
幕末の志士。ペリー来航を背景に尊皇攘夷
(じょうい)運動が高まる中、多くの人士
と交流し、攘夷論を超えた国際的視野に立
つ日本の未来像を描いた。脱藩と帰藩を繰
り返す中で、勝海舟の神戸海軍操練所開設
に尽力、若手浪人を集めて海軍創設と海上
交易による株式会社設立の構想を持った。
1865(慶応元)年には薩摩藩の援助の下、
長崎で亀山社中を設立。
対立関係にあった薩摩・長州両藩を実利で
結び、66年薩長同盟が成立、倒幕への大
きな布石となる。
社中は土佐藩参政の後藤象二郎の尽力で、
土佐藩づき商社であり海軍教育施設として
の海援隊へと昇華した。
倒幕後の新政府案を後藤と構想したものが
いわゆる「船中八策」と呼ばれ、後藤から
土佐藩を通じて幕府に建白、67年に徳川
慶喜をして大政奉還をせしめるに至った。
その一月後、日本の未来を見ぬまま凶刃に
倒れた。
暗殺犯については諸説ありいまだ謎を残す。
日本茶振興業績
坂本龍馬のスポンサーに大浦慶という女傑
がいます。
時代は幕末の混乱期に入り、長崎には勤王
の志士たちが集まり始めた。お慶はその財
力と美貌で多くの勤皇志士と親交を深め、
資金援助に奔走し、志士たちの面倒をみた。
彼女が一番世話したのが坂本龍馬率いる亀
山社中(後の海援隊)の若者たちだったと
いわれる。
当時オールトという若いイギリス人で、か
つての商品見本の空袋を、たずさえて現わ
れた。そして、いきなり60トンもの日本
茶を注文しました。あまりの量に驚きなが
らも、お慶は九州一円を駆けまわり、懸命
に注文に応じた。当時の茶は、農家が細々
と作っている程度で、一括で買い入れられ
る仕入れ先など有りませんでした。
お慶の思惑は当たり、西洋でも日本茶は好
まれ、輸出量はうなぎのぼり。
それまでは日本茶の輸出など考える者さえ
なく、最初に手をつけました。
その後、お茶は生糸と並ぶ輸出品の筆頭に
なり外貨獲得の重要産業になりました。
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