香撰堂本舗 / ワンランク上の味わいを食卓に、静岡産100%深蒸茶匠、特許取得の備長炭入り炭火焙煎茶

改・でしゃばり雑学

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茶に関する(効果効能や生活に役立つ)様ざまな雑学情報を発信しています

No.191  緑茶で骨粗鬆症予防

緑茶煮含まれる渋味成分の一種、エピガロカテキンガレート(EGCG)が、骨粗鬆症の原因となる破骨細胞の細胞死を引き起こすことを、中部大応用生物学部の永井和夫教授を中心とする研究グループが、突き止めた。骨粗鬆症は、骨を吸収する破骨細胞と新たに形成する骨芽細胞のバランスが崩れて発症する病気で、国内の患者は約一千万人とされる。EGCGを使った治療薬やサプリメントが開発されれば骨粗鬆症の抑制や予防に役立ちそうだ。永井教授らは、マウスから採取した大腿骨の骨髄細胞と頭がい骨の骨芽細胞をまぜて培養、破骨細胞などを育てEGCGを注入して24時間後の変化を観察した。その結果破骨細胞は全滅、骨芽細胞に大きな変化はみられなかった。
EGCGの作用で生じる鉄イオンと、破骨細胞の活動で生じる過酸化水素が反応してヒドロキシルラジカルという活性酸素が発生、破骨細胞を死滅させたとみられる。
平成14年4月27日 静岡新聞。

No.192  1日5杯以上飲む人は脳梗塞リスク激減.統計学的に立証

脳や心臓など循環器系の病気の死亡リスクは、緑茶を飲む量が多いほど低下。1日に一杯未満の人に比べ、5杯以上飲む人は男性は22%、女性は31%低下した。脳血管障害では男性35%、女性は42%低下。特に脳梗塞はリスクが低くなり、男性は42%、女性は62%低下するとの結果がでた。
(栗山進一東北大准教授の研究結果から)静岡新聞2006.9.14

No.193  中高年からの緑茶飲用.脳の老化を予防

県立大薬学部の海野けい子准教授らの研究グループが、中高齢期のマウスに緑茶カテキンを与えると脳機能の低下が抑えられることを明らかにした。先ごろ開かれた茶学術研究会で、海野准教授は「中高年になってから緑茶を飲み始めても、脳の老化予防効果が期待できると考えられる」と成果を説明した。海野准教授らはこれまでに若い時からカテキン水を飲ませたマウスで、脳機能低下の抑制作用を確かめている。今回は中高齢期マウスの飲み始め時や期間を変えた試験もしており、海野准教授「老化が顕著になるころに、摂取すると効果が出るようだ」と話していた。
中日新聞静岡版2009年3月31日

No.194  インフル薬にお茶の力、タミフルより効果

緑茶に含まれるカテキンを加工してインフルエンザ治療薬に応用する技術を、大阪大学と横浜市衛生研究所の共同チームが開発した。季節性インフルエンザや鳥インフルエンザで効果が確認された。感染を防ぐ作用もあるため、鼻やのどに噴霧する予防薬への応用も期待できるという。製薬会社と実用化を目指す。 開発に利用したのは、緑茶に多く含まれているエピガロカテキンガレート(EGCG)というカテキンの一種。カテキンは茶の渋み成分で、EGCGがウイルスの働きを抑えるのは以前から知られていた。だが、そのまま飲むと、体内ですぐに分解され、効果がなくなってしまう。 このため研究チームは、体内での分解.代謝を抑える作用のある脂肪酸と合成することで、EGCGが分解されずに、ウイルスの感染や増殖を抑える技術を開発した。 この加工したEGCGを季節性インフルエンザや鳥インフルエンザのウイルスに混ぜ合わせて、イヌの腎臓細胞にふりかけて感染力を調べた。すると、治療薬タミフルよりも約100倍、感染を抑える効果があった。 作用を調べると、ウイルスが細胞に侵入するのを防いだり、仮に侵入してもウイルスの遺伝子が増殖しないようにしたりしていた。
朝日新聞 2009年7月31日。

No.195  ビジネスマナーお茶出し

おもてなしの心が大切になります。お茶の種類に合わせた温度で淹れ、冷めにくいように予め、湯のみなどの器にもお湯を入れて温めておきます。運び方としては、お盆に茶托と茶碗を別々に置き【茶托の上にお茶碗を乗せるのはお客様にお出しする前に行うそうです。その為、誤ってセットしたまま持っていかないように気をつけましょう】、こぼしたときのために、必ずふきんも用意してください。両手で胸くらいの位置にお盆を持ち、息がかからないように左右どちらかにずらして歩きます。
部屋に入る前には、ドアが開いていてもノックして、「失礼します」と声をかけてから入室するといいでしょう。部屋に入ったら、軽く会釈です。テーブルや机の下座の端にお盆を置き、茶托の上に茶碗をセットして、お客様の右側からお茶を出します。右側から出せない時には無理をせず、左や前から出し、「左(前)から失礼します」と一声添えるといいです。お客様の後ろから出すと、お客様にかけてしまう危険性があるので絶対にx。茶碗の柄が正面になるように注意して、上座に座っているお客様から出していきます。お客様に出し終わったら、自社の役職の高い人から順にお茶を出して完了です。ドアの前でもう一度、一礼して退出します。お茶を出す時には、「どうぞ」と一声添えますが、お話中の時は無言で、目礼だけにします。なるべく、さりげなくそっとお茶を出し、邪魔をせずすばやく去るのが理想です。

No.196  急須の語源

急須の急は文字どおり「急ぐ」という意味、「須」は用いると意味です。あわせれば急いで用いる。さてどうしてこんな名前になったのでしょう。
急須は中国で生まれ、最初は燗した酒を入れる器だったそうで、その後お茶を飲むものに使われるようになったそうです。お茶は高級品であったでしょうから、先に酒ありで後にお茶用になったのでしょうね。

No.197  日本茶の歴史初伝達

日本に伝えられたのは、遣唐使が往来していた奈良・平安時代で、最澄、空海(弘法大師)、永忠などの僧が唐より持ち帰ったとされています。「日本後記」には永忠が、嵯峨天皇にお茶を煎じて献じたと記述されています。このころは非常に貴重品で、貴族階級などの限られた人々の間でしか飲まれていませんでした。鎌倉時代に入り、宋よりお茶の種子を持ち帰った臨済宗開祖の栄西禅師が、お茶の薬効を説いた「喫茶養生記」を著し、お茶の普及に努めました。その後、武家社会へと広がっていったお茶は、千利休が茶道を確立することで、文化へと発展していきました。江戸時代に入り各地でお茶の栽培が奨励され、生産量が多くなり庶民の間でもお茶を飲むことが広がっていきましたが、このころのお茶はまだかなり粗末なものだったようです。徳川吉宗(徳川八代将軍)のころ茶葉を蒸して揉む方法があみだされ、これが現在の製法のもととなり、江戸末期には、現在の煎茶に近いお茶がつくられるようになりました。

No.198  茶道で行うお茶の回し飲みの理由は?

一つの器で他の人にも回して飲んでいる事の理由とは何か?基本的には招いた人がお茶を立てることが「招きの礼儀」にあたり、その立てたお茶を一つの器でみんなが飲むことで、「気持ちは一つ」「仲間の儀式」という意味があるようです。お茶を立てる人は、その時の季節で寒さ暑さなどに気を使い、お茶の温度に気を使い、飲み手は気の使い方をくみ取りながら、お互いの絆を確かめ合うという作法の一つとされています。本来お茶会で飲む物は「濃い」ものとされています。薄いお茶などは、茶屋などで出される、喉の渇きを満たすものとされていて、普段から飲む茶は基本的には「薄い」ものがつかわれています。要するに昔は、このお茶の回し飲みでお互いの信頼関係や友好などを確かめていたのでしょう。

No.199  お茶摘み方法

お茶の収穫方法には、手摘みと機械摘みがあります。機械摘みは、2人の作業員が茶の木の列をはさんで刈取機を持って刈り取りを行う「2人式可搬茶刈り機」と、最近増えてきたプランテーションで使われる木の横に設置されたレールに「パワープラッカー」と呼ばれる機械を取り付けて刈り取る2つの方法があります。
パワープラッカー  :1日当り500kg
手持ち刈取機(2人):1日当り200kg
手摘み(1人) :1日当り20kg
手摘みによる収穫は、コストがかかりますが、茶葉の良い部分だけを選別して摘むことができるため、高級なお茶をより良い製品に仕上げることができます。手持ち刈取機による収穫は、手摘みと比べると作業時間が短く経済的です。しかし、枝や新芽ではない大きな茶葉まで一緒に刈り取ってしまい、製茶工程でもこれらの不純物を完全には取り除くことができないため、品質の低下につながりかねません。一方、パワープラッカーによる収穫は、手持ち刈取機による収穫よりさらに短い時間で多くの茶葉を収穫できる上に、茶葉を均一に刈り取ることができます。収穫作業の効率化や機械の性能面からも、これからの新しい茶畑では、パワープラッカーを導入した収穫が主流になると考えられます。

No.200  浮世絵と輸出茶ラベル

幕末に始まった日本の海外貿易で、お茶は絹と並んで有力な輸出品になります、輸出茶は大正時代に最盛期を迎え、茶箱などには木版多色摺(す)りの華やかなラベルがつけられ、輸出茶業界では「蘭字(らんじ)」と呼んでいました。蘭字作りを担ったのは江戸時代から続く浮世絵工房の画工や彫師、摺師(すりし)たちだ。19世紀半ばに世界最高水準のカラー印刷技術を誇った浮世絵工房の伝統が生かされ、欧米では日本の蘭字が本家・中国の蘭字をしのぐ人気を博しました。蘭字に欧文を導入したのは輸出茶を扱う外国商館だが、西洋の言葉を理解していなかったであろう浮世絵職人たちは優れた技術力で、様々な書体を記号として巧みに再現していきました。
絵のモチーフも博物画や風俗画など多彩で、舶来の最先端ファッションを採り上げることもあった。例えば1880年代後半に制作されたとみられる三輪自転車に乗る西洋婦人を描いた蘭字です。都会風の女性を描き、アールヌーボー調の書体の文字を配したモダンな蘭字も生まれた。ただ、現存する蘭字は限られ、輸出茶について行くものなので、日本に残ったのは、見本摺りや不出来なキズモノが多く、倒産したり営業をやめたりした会社から流出したものや、記念品として取り置かれたものがたまに出てくるくらいです。
日本における近代的なグラフィックデザインの始まりは通説では1887年(明治20年)前後とされてきた。だが、それより10年も前に、近代グラフィックデザインの要素を持つ蘭字が日本にあったことには驚かされます。

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