香撰堂本舗 / ワンランク上の味わいを食卓に、静岡産100%深蒸茶匠、特許取得の備長炭入り炭火焙煎茶

改・でしゃばり雑学

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茶に関する(効果効能や生活に役立つ)様ざまな雑学情報を発信しています。
刊行物スポット掲載の「でしゃばり雑学」と旧web版の「新・でしゃばり雑学」をひとつに「改」めました。

No.101   大正時代、渋谷はお茶の産地だった?!

鍋島公爵が個人的に営んでいた茶畑で栽培されたものが「渋谷茶」として販売されていました。
宇治茶の普及とともに衰退してしまったようです。
ちなみに、当時の渋谷は田園風景や牧場もある、のどかな風景が見られました。

 

No.102   香典返しにお茶が定番な理由

香典返しでよく目にするお茶ですが、なぜお茶がよく選ばれるのでしょうか?理由の一つには飲んでしまえば形に残らないからというのが大きいです。
香典という性質上、貰った側も捨てにくいですね。そのため、消え物が好まれます。
また、持って帰るのに軽く出席者の負担にならないというのも一つの理由になりそうです。
お茶以外だと海苔、タオルが好まれるのも同じ理由です。

No.103   世界で最も高価なお茶は ⇒100gあたり1400万円!?

世界には、高価なお茶がいくつかありますが、その中でも群を抜いて高いのが、100gあたり1400万円もする大紅袍(だいこうほう)というお茶。このお茶は実に350年の歴史を持つ中国茶で、原生木はわずか4本しか存在せず、年間に800グラムしか茶葉をとることができない超貴重なお茶といわれています。紅袍は半発酵の青茶と呼ばれる烏龍茶の一種です。
ーー幻の岩茶と言われる大紅袍の樹は樹齢約1000年と推定されており、武夷山の天心岩の一角、九龍かの山肌に古木を三本だけ残している大変貴重なお茶である。年間生産量もせいぜいが2キロというので私達一般人の口には到底入ることはないこの老樹は、現在は中国軍の兵士が立ち、監視をしているという。だから言うまでもなく、市場に出回っている「大紅袍」はこの三本の茶樹ではなく、この樹から繁殖された樹から造られたものなのだ。この「大紅袍」の名前の由来については、いくつかの説がある。1つは、大昔に胃腸病で苦しむ皇后の病を治そうと武夷山の茶の薬効を噂で聞いた皇太子が、その茶葉を持ち帰り、皇后に飲ませると3日後には病は治り、大喜びした。皇后は大紅袍(大臣が着る紅の衣)を茶樹に掛けて木を守り、そして、護茶将軍を任命し、毎年そのお茶を皇帝に献上するよう命じた。それ以降、その茶樹を大紅袍と呼ぶようになったというものである。1つは、天心岩にある天心寺の和尚が茶葉の色がほんのり紅色である為、その具合から名付けたというものである。ーー

No.104   中国人は烏龍茶をあまり飲まない!?

中国人曰く、「実は、中国茶と言っても緑茶なんですよ。むしろ、烏龍茶、プーアル茶、ジャスミン茶はマイナー茶です。」また「烏龍茶飲むのは福建省の人だけ」
日本人にしてみると烏龍茶は中国のお茶というイメージが強いですが、実は中国では緑茶が主流。地域によって緑茶は高級なものですが、烏龍茶は貧乏人が飲むものだというイメージが強い地域もあったようで、烏龍茶を飲む中国人は少なかったそうです。
ただ最近は日本からの逆輸入や健康ブームが起こった結果、烏龍茶を飲む中国人も増えているのだとか。

No.105   文化大革命とお茶

中華人民共和国の建国(1951年)後、中国茶は順調に発展を続けていましたが、毛沢東の文化大革命(1966~1976年)により、お茶は贅沢の象徴として弾圧され、栽培は制限されました。代わって台湾や香港で茶芸とお茶の栽培がより発展し、現在では台湾茶は世界的に有名になりました。

No.106   茶農家の1年間-お茶作りカレンダー

1~2月=肥料をほどこす。(春肥1)
3月=肥料をほどこす。(春肥2)、防除。
4月=肥料をほどこす。(芽出しの肥料)
5月=一番茶の収穫、製造、防除。
6月=二番茶の収穫、製造。肥料をほどこす。(夏肥1)
7月=肥料をほどこす。(夏肥2)、防除。
8月=三番茶の収穫、製造、防除。
9月=肥料をほどこす。(秋肥)、石灰を入れる。新しい苗木の準備。
10月=枝を整え、茶の木の形を整える。
11~12月= 防除。敷草を敷き防風ネット張り。

No.107   茶道の流儀「三千家」とは?

京都の茶の家元である【表千家】【裏千家】【武者小路千家】の三家をもって三千家と称します。
この呼称は三千家の起源に由来します。千利休が切腹して果てた後、文禄三年に千家はお家再興が許されます。しかし利休の孫、宗旦は自らは仕官しないで、自分の息子たちの仕官にに奔走します。
その甲斐あって【表千家】の祖になる千宗左は紀州徳川家に、【裏千家】の祖になる千宗室は加賀前田家に、【武者小路千家】の祖になる千宗守は高松松平家にそれぞれ仕えることになります。
その後、宗旦は隠退し、不審庵を宗左に譲り、その北裏に今日庵を作りますが、その今日庵も宗室に譲ります。それぞれ後を継いだ不審庵、今日庵が表裏にあったことから、不審庵を【表千家】、今日庵を【裏千家】と称するようになったのです。一方、宗守は官を辞した後、武者小路小川に官休庵を建て、そこで茶道を教授したことから【武者小路千家】よ呼ばれるようになりました。

No.108   リプトンの挑戦

紅茶のメーカーにリプトンという大きな会社があります。サーの称号を授けられているサー・トマス・リプトンが1889年に紅茶を扱い始めたのが最初です。
リプトンはイギリスのグラスゴーで1850年に生まれました。家族は食料雑貨店を営んでいました。彼は幼い頃から商売に興味を持っていました。14歳になった彼は8ドルほどをポケットの中に入れアメリカに渡りました。農場労働者として働いた後、ニューヨークの食料雑貨品店の店員になりました。彼はここで多くのことを学びました。
1870年、リプトンは故郷のグラスゴーに戻ります。父親の店でアメリカ式の広告を取り入れました。「商売のもとでは体と広告」の信念と卓越したアイディアで挑戦は続きます。1880年にはチェーン化をした店は20件を超え、百万長者になっていました。1889年になると紅茶の販売を始めます。パケットティーの名で呼ばれる袋入りのブレドティーは人気を博しました。その次の年にはセイロンで廃園されるコーヒー園を次々に買い求めました。有名な「茶園から直接ティーポットへ」というスローガンが生まれました。
仕事の成功で潤った彼はスペイン・アメリカ戦争や世界第一次大戦の兵士に寄付をしました。時のイギリス女王ヴィクトリアからサーの称号をもらいます。
さらに彼の挑戦は続きヨットレース、アメリカンカップの帆にリプトンの真っ赤な広告をつけて挑みます。全て惨敗に終わった彼には「世界の最高の敗者にアメリカの人々からゴールデンカップを彼のスポーツマンシップにたいして送る」の言葉が送られました。晩年はティーバッグ、自動ティーバッグ機の開発にも取り組み最後まで飽くなき挑戦を続けました。
参考文献)「紅茶の文化史」春山行夫著(平凡社)「オールアバウトティー」W・H・ユーカース

No.109   海外では緑茶に砂糖を入れることが多い

日本ではグリーンティーと言うと普通の緑茶をイメージしますよね。ところが海外では、砂糖を加えて甘くした緑茶がグリーンティーとして認識されています。
海外で緑茶はヘルシーなイメージを強く持たれていて人気があるのですが、その苦味が苦手な人も多いのだとか。そこで砂糖などを入れて、緑茶を甘くしたものがグリーンティーと呼ばれ好まれているのです。
また、グリーンティーにミントやフルーツの香りなどつけたフレーバーティーも人気があるそうです。紅茶にも砂糖を入れて飲むのだから、緑茶を甘くするのもおかしくないという発想なのでしょう。

No.110   急須で淹れた緑茶ペットボトルより、カテキン量は2.5倍

緑茶には、たんぱく質、ビタミン、カフェインなど様々な成分が含まれていますが、その中でも、特に注目されているものがカテキンで、ポリフェノールの一種です。ポリフェノールには、天然の抗酸化作用があり、体内の活性酸素を減らし、生活習慣病の予防に効果があるということで注目されています。
平成11年8月から平成12年2月にかけて、京都府消費生活科学センターで行った『ポリフェノール含有食品比較テスト結果』によると、急須で淹れた煎茶(緑茶)に含まれるポリフェノール量が、ペットボトル入り緑茶飲料に比べて、平均すると約1.4倍も多いことが分かりました。
その他、茶カテキン量は2.5倍、旨みや甘みを感じさせるアミノ酸は5倍と、いずれも急須で淹れた緑茶の方が多いのです。

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