香撰堂本舗 / ワンランク上の味わいを食卓に、静岡産100%深蒸茶匠、特許取得の備長炭入り炭火焙煎茶

改・でしゃばり雑学

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茶に関する(効果効能や生活に役立つ)様ざまな雑学情報を発信しています

No.081  日本のお茶の起源、世界のお茶の起源は?

記録の残されている日本のお茶の起源は、平安朝の初期(約1200年前)、伝教大師(最澄)や弘法大師(空海)など、唐へ留学した僧侶たちによって中国から茶を持ち帰ったのが始まりとされています。
世界のお茶の起源は、中国南西部あるいはビルマの山岳少数民族によって有史以前から茶の利用が始まり、後に漢民族によって喫茶の方法が取り込まれたようです。中国に現れる最初の記録は前漢の宜帝の時代、紀元前59年、蜀(四川省)の「王褒(おうほう)の僮約(とうやく)」と題する一文に「茶を烹(に)る」「武都の茶を買う」といった記述が見られます。

No.082 お茶の本来の色は淡い黄色だと聞きます。深蒸し茶は着色しているのですか? *

色は一切していません。通常の煎茶や玉露の水色は黄金色です。深蒸し茶は、水の悪いところでカルキ臭に負けず美味しく飲めるよう開発されたお茶です。
製造工程のうち、蒸しの時間が長いために揉む工程で粉が多くなる事から、茶碗のなかで粉が浮遊するので、緑色が鮮やかになります。
なお化学的な着色は「静岡県製茶指導取締条例」で禁止されています。

 

No.083  茶畑の上にある扇風機は何のためにあるの?

本当の名前は『防霜ファン』と言います。その役目は、新茶のお茶の芽が遅霜の被害から守るためにために設置しています。
茶園の地面に近いところは冷たい空気の層がありますが、約3~5メートルのところには、やや暖かい空気の層があります。この暖かい空気の層を、ファンでかくはんする事で、霜の被害を防ごうというものです。
茶農家の人は、新茶の芽が出始める3月中旬から、防霜ファンの準備を始めます。気温が約5度以下になるとファンが回るように設定をします。そして新茶の摘み取られる5月はじめまで、働き続けます。この防霜ファンの設置によって、遅霜の被害が減り大いに役立っています。

No.084  「お茶を濁す」という言葉、正しく使えますか?

実はこの「お茶」は、抹茶のことを指しています。抹茶を点てる際に、お茶の作法を知らない素人はできません。だからその場で適当に真似事をして濁らせてごまかした、ということが由来だといわれています。
現在でも、抹茶を点てて楽しむということは一定の技術がある人でなければ難しく、素人は見よう見まねでしかできません。それと同じで、昔は抹茶自体がとても高級なものだったので、本格的な抹茶を点てる作法を知っているのは僧侶や貴族の人だけでした。作法を知らない素人は程よく抹茶を濁らせて、それっぽく見えるようにしてごまかしていたそうです。
結論は、「お茶を濁す」という言葉は、なんとなくごまかすというだけでなく、都合が悪いその場を取り繕ってしのぐ、という意味合いが強い事例に使うべきです。

No.085  史上最高値の緑茶

2019年、新茶シーズンの本格的な幕開けを告げる「新茶初取引」が4月19日朝、静岡市の静岡茶市場で開かれた。史上最高値をつけた前年を30万円も上回る、1キログラム139万円/100g13万9千円で、売買が成立しました。価格の読み方には「平成にサンキュー」の意味が込められているという。大幅に更新された最高値に、取引を見守っていた関係者からは驚きの声が上がった。取引は午前7時すぎに開始。生産者や問屋らが茶葉を手に取り、そろばんをはじきながら価格交渉した。今年は3月下旬からの冷え込みで平年より生育が遅れ気味で、静岡県内産は前年の10分の1にあたる約1200キログラムの上場にとどまった。
富士宮農業協同組合(JA富士宮)が手摘み・手もみをした新茶1キログラムを139万円で提示。前年に続き、富士宮富士山製茶合同会社(静岡県富士宮市)が買い付けた。同社の土井貴さんは「これを機に茶業が活気づけば」と語った。新茶は富士宮市の浅間大社に奉納後、市内のイオン店舗で振る舞われました。

No.086  アヘン戦争とお茶-1

イギリスでは19世紀にはお茶が広く国民に普及してきました。当然、お茶の輸入量も増大しました。とくに、それまでイギリスの茶貿易を独占していたイギリス東インド会社の貿易独占権が廃止され(1833年)、貿易が自由競争になったことも大きな要因でした。

1 お茶の飲みすぎで経済悪化
お茶の輸入量が増えればその分輸出国への支払いが増えます。当時、国際間の支払いは銀で行われており、イギリスに銀の不足が目立ってきました。もとよりイギリスはアメリカ独立戦争の影響で植民地からの銀の供給が困難になっていたことに加え、産業革命の進行などにより、たくさんの銀が必要となっていました。そこへお茶の輸入量がふえたため、中国に払う銀が底をついていたのでした。
東インド会社は逆に中国から銀を引き出すために、イギリスの羊毛や綿織物をインドへ、インドのアヘンを中国へ、中国のお茶をイギリスへ、といういわゆる「三角貿易」を考えついたのでした。もともと中国ではアヘンはポルトガル商人によって医薬品として輸入され、その輸入量は年間約1000箱に過ぎないものでした。ところが1830年ころから急激に輸入量が増大し、なんと2万箱。35年には3万箱、39年には4万箱へと激増していました。中国国内では逆に銀が流失し財政が窮乏するとともに、アヘンよって風紀の乱れなど社会が混乱してきました。

No.087  なぞなぞ、世の中にはいろんなお茶がありますが 悪いことをした人に飲ませるお茶ってな〜んだ?

答:ペナルティー

お口直しの意味合いです、すいません。

 

 

No.088  アヘン戦争とお茶-完結

2 イギリスの武力挑発
東インド会社はアヘン取引に直接かかわらず、会社の許可のもとに新興の自由貿易商人にアヘンを売り込ませていました。この中には幕末から明治に日本の茶貿易で活躍したジャーディン・マジソン社(日本では「英一番館」とよばれていた)も含まれていました。
1839年、中国では林則徐がアヘン取締りを強化しました。折も折り、イギリス人水夫が酒に酔って中国人を殺害する事件が勃発し、中国はイギリスに犯人引渡し要求を拒否されたため、対抗してマカオを封鎖したのでした。翌年になるとイギリスは海軍を派遣し、中国海軍を破り、主要な港を占領したため中国はイギリスの条件を受け入れ、1842年、戦争は終結しました。これが「アヘン」戦争でした。

3 中国茶の輸出はさらに増大この結果、中国は、1.ホンコンをイギリスに譲り渡し、2.カントン港のほかさらにシャンハイなど5港を開港することになりました。したがって、この戦争を機に、中国からさらにお茶の輸出が増大することになりました。以後、中国は苦闘と混乱の時代を迎えることになりました。ホンコンはつい最近、1999年中国に返還されたことはご存知のとおりです。アヘン戦争は日本にも大きな影響を与えました。幕末、ペリー艦隊の浦賀来航を機に、外国人排斥運動、つまり攘夷運動が激化したのもアヘン戦争によって欧米列強の実力を知らされたからでした。

これほどアジア諸国に大きな影響を及ぼしたアヘン戦争もその発端は「イギリス人のお茶の飲みすぎ」だったのです。

No.089  茶寿(ちゃじゅ) の意味

「茶」の字を分解すると「十」「十」「八十八」となるところから》108歳のこと。また、その祝い。
長寿祝いの種類=長寿を祝う節目の年齢には、還暦や古希、喜寿などの名称があります。本来は数え年で祝いますが、現在では満年齢で祝うことが多くなってきています。ただし、還暦だけは数え年で61歳、満年齢60歳でお祝いします。以下、主な長寿のお祝いをご紹介します。
○還暦(かんれき)…61歳(満60歳)生まれた年の干支に還ることから、「還暦」と呼ばれるようになりました。赤いちゃんちゃんこの風習があり、赤が長寿祝いの色とされています。
○古希【古稀】(こき)…70歳。中国の唐時代の詩人、杜甫の詩の一節である「人生七十古来稀なり」に由来しています。現代では還暦よりも本格的な長寿の祝いと考えられているようです。紫が長寿祝いの色とされています。
○喜寿(きじゅ)…77歳。「喜」という字の草書体が七を3つ重ねた形になり、七十七と読めることに由来しています。紫が長寿祝いの色とされています。
○傘寿(さんじゅ)…80歳。「傘」の略字が八と十を重ねた形になり、八十と読めることに由来しています。黄(金茶)が長寿祝いの色とされています
○米寿(べいじゅ)…88歳。「米」の字をくずすと八十八と読めることに由来しています。黄(金茶)が長寿祝いの色とされています。
○卒寿(そつじゅ)…90歳。「卒」の略字である「卆」が九十と読めることに由来しています。白が長寿祝いの色とされています。
○白寿(はくじゅ)…99歳。百から一を引くと「白」となることに由来しています。白が長寿祝いの色とされています。
○紀寿(きじゅ)または百寿(ひゃくじゅ)…100歳。100年が一世紀ということから紀寿、また100歳であることから百寿と呼ばれています。白が長寿祝いの色とされています。
◎100歳を超えた長寿祝いには、茶寿の他、111歳の皇寿、120歳の大還暦があります。また、250歳で天寿というものもあります。

No.090  喫茶店というとコーヒーを連想し、緑茶が主流でないのはなぜ?

江戸時代、緑茶は慶安の御触書にあるようにぜいたく品であったと思います。明治時代以降は輸出品として良品が輸出されました。しかし、急速に西洋化した日本には、コーヒーや紅茶など、西洋の飲料が数多く伝えられ、喫茶店でそれらの飲料がレジャーとして飲まれるようになりました。対して緑茶はもっぱら家で飲む物、あるいは 「ただ」 のものでよそで金を払ってまで飲むものではないという意識からか、緑茶を出す喫茶店はほとんどありませんでした。西洋のものに魅力を感じている大衆には、レジャーとして「和風」を選ばなかったのではないでしょうか?逆にアメリカ等ではコーヒーは何杯飲んでも無料だそうです。しかし、近年、和風を見直す傾向からか、緑茶の喫茶店が話題になっています。効能だけではなく緑茶の美味しさを見直す傾向にあると思います。

 

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